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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(あ)1988号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人土谷伸一郎、同山田善一の上告趣意のうち、大麻取締法一条の規定が取締の対象とする植物の範囲を一義的に明確にしていないことを前提として憲法三一条違反をいう点は、大麻取締法の立法の経緯、趣旨、目的等によれば、同法一条にいう「大麻草(カンナビス、サテイバ、エル)」とはカンナビス属に属する植物すべてを含む趣旨であると解するのが相当であり、同条の構成要件が所論のように不明確であるということはできないから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、実質において単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(木下忠良 鹽野宜慶 大橋進 牧圭次)

弁護人土谷伸一郎、同山田善一の上告趣意

第一点 原判決は、法令の適用に誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(一) 一審判決は『大麻取締法第一条この法律で「大麻」とは、大麻草(カンナビス・サテイバ・エル)及びその製品をいう』の解釈適用きつき、弁護人の主張する如く植物分類学上の少数説を敢えて採用してまで、大麻取締法の規定を限定的に解釈すべき合理性を見出すことはできないと判示し、原判決はこれを支持するが、これは論理が逆である。植物分類学上、カンナビス属に属する植物には、サテイバ・エル種以外にもインデイカ・ラマルク種、ルーデイラリス・ジャニスシュニスキー種等、複数の種が存在するという有力な学説が存在する。しかも、この学説は、大麻取締法の制定時以前から存在していたのである。しかるに一番判決および原判決は、大麻取締法による規制は、カンナビス属植物の含有する成分の心身に対する薬理的作用に着目してなされているものであるところ、その成分は、テトラヒドロカンナビノール(THC)であるとされており、これがカンナビス属植物中に含有される成分であることから考えて、大麻取締法にいう大麻はカンナビス・サテイバ・エルと規定しているが、これはカンナビス属に属する植物全体が含まれる趣旨であると判示し、大麻取締法の規定中にそのTHCを規制する趣旨を確認し得べきものがないのにも拘らず、単に法規の目的を達することができないということで、大麻取締法にいう大麻はカンナビス・サテイバ・エルと記述してあるが、これはカンナビス属に属する植物のことであると、不当なる類推解釈をしている。ちなみにテトラヒドロカンナビノール(THC)自体は人工で合成できるにかかわらず全く取締られていないのである。

(二) 証拠物として提出されているザ・デイリー・ワシントン・ロー・レポートに登載されているアメリカ合衆国コロンビア区最高裁判所の一九七四年三月一九日の合衆国対コリアー刑事事件(四六六〇四―七三号)の判決理由によれば、スミソニアン学術協会の補佐役であるジェイムス・エイ・リヴィール博士は、カンナビスとは五つの異なる種を含む属名であると証言し、その種というのは、カンナビス・サテイバ・エル、カンナビス・インデイカ、カンナビス・ルーディラリス、カンナビス・ジガンティア及び、まだ命令されていない種であるが、この種もハーヴァード大学植物学科のリチャード・シュルテス博士によつて間もなく命名されるだろうと証言している。

更に、検察官側の証人伊藤浩司は、一属一種説即ち、カンナビス属はサテイバ種のみからなるという説をとる旨証言しているが、右シュルテスが、カンナビス属は三種以上あると述べていることを認め、証人との考え方の差は、種を弁別する基準についての重点の置き方が異なると証言している。そして、同証人は、カンナビス属に複数種の存在を認める学説の存在を認めているのである。

即ち、植物学者に於いても、カンナビス属に於いて種を分ける基準が一義的に明確になつていないのである。更に、証人石川元助によれば、カンナビス属は、サテイバ・エル種の他にカンナビス・インデイカ、カンナビス・ルーディラリス等が存在し、種は複数種あることを証言している。そして、カンナビス・サテイバ・エルはリンネが決めたもので、リンネの書いた記述とリンネの〓葉標本(タイプスペシメン)をよく調べ比較し検体と同定しなければカンナビス・サテイバ・エルであるか否か判定できない旨証言している。そして、他の植物分類学者も、幾つかの種類があつてもおかしくないと言つていると、証言している。

(三) 従つて、カンナビス属がサテイバ・エル種一種しか存しないのか、サテイバ・エル種以外にも複数の種が存するか、については植物学界に於いても種を弁別する基準が明確に一義的に定まつていないので、両説が併存している状態にある。

(四) 更に、証拠物として提出されたザ・デイリー・ワシントン・ロー・レポートに登載されている前述の合衆国対コリアー刑事事件の判決理由中の記載において連邦下院が大麻の規制の法律を立法した一九三八年当時までに、議会に於ける専門家の証言が、大麻は一属一種であるという証言と、カンナビス・インデイカ等複数種が存在するという証言の両方があつたと記載されている。

(五) 大麻取締法は、昭和二三年七月一〇日法一二四号として制定されたが、G・H・Qの要請で作られた法律のため大麻取締りを必要とする立法事実について国会に於いて何ら審理されていない。

(六) このような状況に於いて、原判決は単に大麻取締法第一条の規定の仕方あるいはその立法の経緯に照らしてみても、同法の立法に際し、複数種のカンナビス属植物の存在を前提としたうえで、特にサテイバ種のみを規制の対象とし、その他の種を除外したものとは認められないと、論断しているが、これは議論の主客が顛倒していると言わなければならない。

(七) 即ち、立法に於いて、国民の自由を制限する刑事法に於いては、むしろ訴追側において立法による自由の制限をなす合理的根拠、即ち、立法事実について立証しなければならない。しかるに本件に於いては、原審はかかる作業をせず、(六)で述べたように極めて形式論理に終始した理由で、大麻取締法第一条の、大麻についてカンナビス属植物の含有する成分の心身に対する薬理的作用に着目し、これを禁止しているからと断定し、その成分であるテトラカンナビノール(THC)を含有しているカンナビス属植物すべて大麻取締法第一条に当るという目的類推解釈をしているものである。

(八) しからば、人工THCが合成されているのに何故取締らないのかという疑問については、右の論理は如何に答えるのか、また、THC以外にも規制されていない薬理作用がある物質はいくらでもある。これらは何故THCを取締る必要があるのかという合理的根拠について、すなわち、その立法事実に何ら論及しないで、THCを取締る必要があるから、THCを含有するカンナビス属植物は立法の目的の範囲内であるという、一種のトウトロジー的倒錯した理由付けである。大麻の有害性について、事実認定し、その有害性の程度を除去するために大麻取締法の取つている法的手段が合理的であつて、他の規制では目的を達成し得ないことを説明すべきである。その上で、種についての構成要件該当性の判断すべきところ、原判決はトウトロジーというべき循環論法により誤つた解釈をしている。原判決に於ける刑事法の解釈は、罪刑法定主義に違反し、憲法第三一条の精神にもとる誤つた法の適用と言わなければならない。

(九) もう一つの問題は、すでに述べたように、カンナビス属の種の分類について、学界に於いても、明確な基準が確立されていないという点である。すなわち、刑事法の構成要件は、一義的に明確でなければならないところ、大麻取締法第一条の大麻の定義は、カンナビス・サテイバ・エルという学名を用いて構成要件の枠組としているところから、必然的にカンナビス属の種の分類の基準の不明確さが、直ちに構成要件の枠の不明確性になると言うことである。大麻の定義がカンナビス・サテイバ・エルというのが狭義のものか広義のものか不明確である。このように学者によつて、まちまちな不明確基準をもつて大麻の定義を為すことは、構成要件が不明確になり、その限界について議論を引き起こす程あいまいであるということは、罪刑法定主義に違反し、憲法三一条に違反する立法であつて、大麻取締法第一条は適用の問題以前に文言上無効であると言わざるを得ない。

(一〇) 以上、結局いずれにしても、第一審判決ならびに原判決は、大麻取締法二四条の二、一号、三条一項を適用し、結局、同法第一条を適用しているのであるから、いづれも法の解釈適用を誤つているものであり、罰条の適用を誤つているので、判決に影響を及ぼすことが明らかである。〈以下、省略〉

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